檜枝岐村は「日本で一番人口密度が低い村」として知られるほど人口は少ないのですが、観光業が盛ん。福島県側から尾瀬へアクセスする玄関口となっており、春になると尾瀬を目指すハイカーをはじめ、村を囲む美しい山や岳とそこに流れる清流を目指して、多くの登山客や釣り客が訪れます。村には民宿や旅館などの宿泊施設が28軒、山小屋が12軒、キャンプ場が9つ、それに加えて大きな公共温泉が3つもある、活気溢れる村なのです。

さらに、釣りや登山が難しい冬でも、村の宿泊施設はお客さんが途切れないほど賑わっていました。檜枝岐村はリピーターが非常に多い村だそうで、この日に宿で出会ったみなさんも「僕は7回目!」「毎年来ている」と、すっかりこの村に魅了されている様子が覗えます。中には冬山登山を楽しむために来ていた方もいらっしゃいましたが、ほとんどの方は特になにかのアクティビティを楽しむために来たわけではないそうで、もはや宿の方とも家族のようなお付き合いになっているようでした。

たしかにこの村には、国の重要有形民俗文化財に指定されている「檜枝岐歌舞伎」をはじめ、ここにしかない、一度訪れた人を惹きつけてやまない魅力がさまざまあるのですが、私が一番魅了されたのが、そのうちの1つ、この村に古くから伝わる伝統料理である「山人(やもーど)料理」でした。

かつて林業が盛んだった檜枝岐村では、時期になると男の人たちが山に入って仕事をしていました。食事のたびに山奥から麓の村まで降りていては仕事にならないので、一度山に入ったら、ある程度の期間は山小屋に滞在します。その間の食事は、村から持参した味噌や塩・そば粉などと、山で採れる食材で賄っていました。その料理こそが「山人(やもーど)料理」で、今でも脈々と引き継がれ、食文化としてこの村に根付いています。

その時期にその場で採れるものと、山に持って行けるだけのシンプルな調味料だけで料理をするわけなので、食材の種類が多いわけでも、高級食材を使っているわけでもありません。でも、限られた食材でいかにバラエティ豊かに、そして食べ飽きないようにいろいろな味付けでおいしく作るのかに心血を注いで生み出されてきたお料理の数々は、思わず「また食べに来ます!」と宣言してしまうほど。

今回は、村にある民宿にご協力いただき、冬の「山人料理」をご紹介します。

檜枝岐村では美しい川の水を活用して岩魚の養殖が行なわれています。

冷害に悩まされてきたこの村では、凶作の年には働き手にならない赤ん坊を「まびき」せざるを得ないということもあったそう…その霊を弔うために建立されたもの。

本来は子どもを水難から守ってくれる水神様だそうなのですが、いつしか縁切り&縁結びの神様として知られるように。新しいはさみを供えると縁切りが出来て古い錆びたはさみを供えると良縁が長持ちするそうです。

檜枝岐歌舞伎は江戸時代から続いていて、舞台は鎮守神社のほうに向けて奉納歌舞伎として演じられてきたそうです。役者はなんと地元の住民のみなさん! 代々、親から子へ受け継がれているそうです。

共同浴場「燧の湯」のほど近くに位置する民宿「松源」は、猪苗代町ご出身のご主人と檜枝岐村ご出身の奥様のご夫婦で経営されているお宿で、お料理は奥様が、接客はご主人が担当しているそう。檜風呂と岩風呂を有するこちらのお宿では、朝も夜も山人料理を楽しむことができます。

「中心部からは遠い村だし、派手なものは出せないけど、せっかくここまで来て下さるから美味しいものを食べてほしくて」

控えめなコメントとともに提供された山人料理ですが、いずれも手塩にかけたものばかり。もちろんどのお料理もこの季節にこの地域で採れる食材か、塩漬けにして保存していた地元の食材で作られており、これこそまさに本来の意味での「ご馳走」(客人の食事の用意のために走り回って食材を集めたり準備をしたりする)だと感じました。

檜枝岐村では、山から流れる清流を活用した岩魚の養殖が盛んで、大きな養殖場があります。注文すると当日締めたものを届けてくれるそうで、山人料理には欠かせない食材でもあります。

刺身は全く脂っこさを感じさせないのにねっとりとしたコクがあり、上品な旨味でどれだけでも食べられてしまいそうです。岩魚のイクラの塩漬けはほどよい弾力でプチッと弾け、控えめな塩加減で引き出された濃厚な旨味と甘味が口いっぱいに広がります。生臭さが微塵もなく、イクラ好きにはぜひ食べてほしい一品です。少し甘めの味噌を塗って焼かれた味噌焼きは、日本酒が進む味わい。これ以外にも、天ぷらにしたり甘露煮にしたりもするそうで、岩魚だけでも様々なバリエーションがあるのが山人料理ならではかも知れません。

実は松前漬けのルーツとも言われている、スルメイカとにんじんを細切りにして漬けダレに漬け込んだ一品で、冬の保存食の定番だそう。素朴ですが、その分、にんじんの甘味もイカのうまみもしっかりと感じられて、いくらでも食べられそうな優しい味わいです。

檜枝岐村の清流の恵みは岩魚だけではありません。ハコネサンショウウオも生息しており、貴重なタンパク源として活用されてきました。今回はまるごと天ぷらで。身は非常にたんぱくでほのかな苦味があります。弾力を感じてのぞき込むと、卵が。こちらは少し濃厚で生命力を感じさせます。ふきのとうもあり、ゆるやかに春の訪れを感じる一皿でした。

冷涼な気候の檜枝岐村は稲作には適さないため、蕎麦が主要な炭水化物源になってきました。つなぎを入れずにそば粉100%で作られる十割そばが主流なのですが、その作り方がユニーク。通常のつなぎ入りの蕎麦は大きく生地を延ばして折り畳んでからまとめて切りますが、こちらの蕎麦は、薄くのばした生地を何層にも重ね、包丁を引くように切っていきます。その様が布を裁つようであるということから「裁ちそば」と名付けられたと言います。昔は「そばが打てないと嫁に行けない」と言われていたほど地元の人たちに愛されてきたこの蕎麦は、薄く繊細で、舌触りが滑らかで、蕎麦の香りが鼻に抜けます。
蕎麦を食べる時には「薬味」と呼ばれる、紫蘇・青唐辛子・茗荷を半年ほど塩漬けした漬物を添えるのが一般的で、これがまた裁ちそばとマッチして、蕎麦つゆなしで薬味だけで楽しむのもおすすめです。

そば粉を使った料理は裁ちそばだけではありません。そばの実を使ったそば粥、そば粉で作ったすいとんが入っている「つめっこ」、そしてそば粉ともち米を練って茹で「じゅうねん(えごま)」と砂糖と塩を混ぜたものをつけて食べるデザート「そばはっとう」まで、そば粉を使った料理も多彩です。これも、1つの食材を多様な料理に変化させる山人料理の特徴を表しているのではないでしょうか。

翌朝の朝食でも、干しておいたまいたけを油で炒め、塩と出汁で炊いたごはんに混ぜた「まいたけごはん」をはじめ、味噌の紫蘇まき、蕗味噌、花豆の煮物、岩魚の甘露煮、寒ざらし大根(皮をむいた大根を雪の中に干して、1週間ほど真冬の清流にさらした大根)の煮物など、地元の食材を丁寧に調理したお料理の数々を堪能することができました。

夜も朝も全体的に優しい味付けで、理由を尋ねると「食べる人の負担にならないように」とのことで、たとえば「薬味」も、通常は1日ですむ塩抜きを2日かけてしているとのこと。随所におもてなしの心が溢れる山人料理を楽しませていただきました。

私が民宿「檜扇」を訪れた日は満員御礼で、囲炉裏のある食堂はお客様でいっぱいでした。やはりほとんどの方がリピーターで、毎年来て下さる方も多いとか。岩魚が囲炉裏の炭火でじりじりと焼き上がるのを横目に、さっそく山人料理のスタートです。

食前酒は、地元で採れた山ぶどうを20度の焼酎に漬け込んだリキュール。美しいルビーの輝きはもちろん、自然な甘さと酸味が胃をすっきりとさせるとともに、これから出てくるお料理への期待を高めてくれます。

会津に生魚がほとんど流通していなかった江戸時代。北海道から流入した保存の利く「みがきにしん」が重宝され、この地域でも食べる習慣ができました。みがきにしんに山椒の葉をかぶせ、醤油や酢、酒で味付けをしたのが「にしんの山椒漬け」。この料理を作るための陶器「にしん鉢」が今でも作られているほど愛されています。

山々に囲まれた檜枝岐村では、山菜が豊富に採れます。採れる時期に塩漬けにしておいて年間を通じて様々な料理にして楽しみますが、この日は気の早いふきのとうが顔を出していたようで、甘酢漬けでいただきました。ふきのとうの苦味が酸味で緩和され、食べやすくさっぱりとした仕上がりに。

山人料理といえばやはり岩魚は欠かせません。刺身と塩いくらのほか、囲炉裏でじっくりと焼いた塩焼きでいただきました。清流の水で育つ岩魚は川魚特有の香りがなく、身もたんぱくで癖のない味。薄く塩をすることで身の甘味と皮の香ばしさが引き立ち、岩魚釣り解禁の時期になると多くの釣り人が訪れるというのも納得の味わいです。
焦げないようにじっくりと焼いて水分を飛ばした岩魚をまるごと日本酒に入れた骨酒は、岩魚のエキスで黄金に色づいています。香ばしい香りと岩魚の旨味はまるで上質な出汁のようで、ついついお酒が進んでしまいます。

檜枝岐村では、昔から貴重なたんぱく源として熊を食べたり、胃を漢方薬として使ったりしてきたそうです。いつしか日光のほうから山を越えてきた鹿が増えたことから、鹿肉食も盛んになりました。猟友会のみなさんが鉄砲を抱えて山に入り狩猟を行なっています。この日はこだわりのお塩とともにシンプルな塩焼きでいただきました。

*現在は一時的に福島県産の鹿肉が提供できないため、県外産を使用しています

餅といえばもち米で作るイメージが一般的ですが、こちらはもち米ではなくうるち米で作ったお餅です。それを岩魚を練り込んだ味噌で食べる郷土料理ですが、アレンジも色々できるのが魅力の一つ。この日は生地によもぎを練り込んで、地元で採れたくるみをすりつぶして塩味で仕上げたタレでいただきました。うるち米なのであまり伸びず歯ごたえが良いのが不思議な感じですが、癖になります。

蕎麦作りが盛んな檜枝岐村の名物「裁ちそば」は、どちらかというとハレの日に食べるイメージだそうで、実は一般的に家庭で作られて食べられてきたのはこちらの「機械そば」だそう。「機械そば」は、蕎麦粉をお湯でこねて団子状にし、専用の機械に入れて押し出して作ります。断面が丸くなることでのどごしがさらに滑らかになりますが、韓国のビビン麺にも似た力強い食感で、噛めば噛むほど蕎麦の香りが口いっぱいに広がるので、よく噛んで食べてみるのもおすすめ。「機械そば」を提供するお店は珍しいため、ぜひ宿泊して楽しんでみて。

今やその気になれば世界中のどんな食材でも手に入れることができ、山の中にある宿泊施設でマグロの刺身が食べられたり、海辺でブランド和牛が食べられたりすることも当たり前になっています。高級な食材の良いところだけを使ったり、洒落た見た目に仕上げたりする料理も多くあります。それはそれで良いところもあるのですが、今回の滞在で私が感じたのは、真の贅沢とは山人料理のような料理のことを言うのではないか、ということでした。

自分たちが行ける場所で、自然に影響のない範囲で、今この時に採れる食材を手に入れ、手間暇を惜しまず、自然の力も活用しながら、無駄のないように調理する。さらに食感や味付けを工夫しながら、多彩なバリエーションを楽しむ。今ないものはなくて当たり前として受け入れ、今あるものに感謝をしていただく。派手に飾ることもなく、地元で食べられてきた料理を大切にし、脈々と受け継いできた。そのことこそ、とても価値のあることに思えるのです。そこに村のみなさんの優しい人柄が加わって、一度来た人を惹きつけてやまないこの村ならではの魅力が生まれているのではないでしょうか。是非一度、足を運んでみてください。その魅力の虜になること、間違いなしです。